言葉の概念的な定義とその本質は常に相反している。
あ、「!?」ってなりました?
すいません、わたしは新人看護師のA子です。
「看護師」というのは看護師以外の人(多くは患者さん)から見たときのあなたやわたしだけど、自分自身を見た時に「自分は看護師」かと問われ「はいそうです」と自信満々に言うことができるかと言われればわたしにはとても無理だった。
しかし周りはわたしを「看護師」と見る。でもわたしはまだ新人看護師。
つまりそう。
バイトの時、「お客さんから見ればバイトも社員も関係ないからね」と注意されたけど、実態を見ればバイトだろうが社員だろうが”経験不足”、”見習い”というポジションに違いない、それと同じ。
そりゃ同一に扱われるのかも知れないけど、扱われるからそう振る舞えというのは無理があるよ。
しかも、看護師のような奥深く複雑な職業は一朝一夕で一人前になれるものじゃないと思う。
数十年の実務を経て管理職も経験してようやく全体が見渡せるようになるものだ。
わたしの中には「看護師」扱いされることに対して、”一応”という前置詞をつけたくなる気持ちがある。
「一応看護師」
こう言えばずいぶん気持ちは楽になった。
しかし社会はそれを許さないようだ。
責任感がないとか?
「いや、責任を感じるからこそ自分ごとき新人看護師を先輩方と同じように扱わないでくれよ、患者様方!一応看護師資格は取ったんだけどさ。」
新人看護師のワガママのようでいて、まったくもって本質をついた一言ではないでしょうか。いや、自分で言って自分でそう思っている。
看護資格を取って、看護師の容姿をして、みんなと同じ様に看護師として振る舞えば=看護師として扱われる。
あなたもわたしも看護師になりたいし、世間は看護師になったと思っているみたい。
事実、今年度から看護師として病院に勤め始めた。
がんばろう。
そう決めた。
そう思った。
そして”一応看護師”から”一人前看護師”になるんだ。
でも、まだどうしても、世間が自分を見る目と自分自身とのギャップにジレンマを感じざるをえない。
そのジレンマがずっと続くと思うと辛い。
ギャップを埋めるのにどれだけかかるんだ。
みんな同じだったとかいうな、うざい。
わたしは違うかも知れないだろ。
このまま2~3年は辛いだろうと思ってゾっとした。
あーわたしに看護師は無理だ。というか社会人とか無理。もう辛い。
・・・と思ってた。看護師としてとある経験をするまでは。
もちろん仕事は辛い。体力的に精神的にも辛い。
けどある日、さらに辛い経験がわたしを変えた。
もしかして、わたしみたいなダメ看護師でもちょっとは一人前に近づいたのかも、そう思えた体験談を今から書いてみようと思う。
仕事
わたしなんて所詮、看護資格を取って看護師の服きて、看護師っぽく振る舞ってるひとりの人間だ。
先輩やドクターとの人間関係、研修の多さ、睡眠時間の短縮、ハードな交代勤務での体力的な辛さ。
これを体験するたびに、噂には聞いていたけど大変すぎだろと思った。
正直、思っていた以上の自分の無力さに落ち込む。
医療現場は常に緊張感に包まれていた。
研修とは違う。
絶えず鳴っている心電図などの機械音、一つ間違えたら命取りになってしまう薬の管理、突然の急変。
精神的に張り詰めた状態が続き、時には体調を崩してしまい、職場に迷惑をかけてしまったこともあった。
何度も仕事を休みたいと思ったり、朝が憂鬱だったり、真剣に退職を考えたりすることもあった。
時には仲の良い同期と話をしたりすることで、そのストレスを一時的に解消することはできたが、この辛い気持ちが消えたりすることだけはなかった。
看護師になることは憧れだったけど、こうしてなってみるとなんで憧れていたかもよくわからなくなり、やりがいもわからなくなっていた。
いや、やりがいはあるんだ。けどそれは漠然としていて見えにくく掴んでも消える霧のような”やりがいらしきもの”だった気がする。
やりがい
わたしが配属されたのは、血液透析センターだった。
透析を受けている腎不全の患者さんは、透析をすることで病気を現状維持することはできるけど、良くなることは決してない。
週に3回、3〜6時間、休むことはできず、病院に通わなければいけない。
この延命治療の毎日が苦痛で仕方なく、憂鬱な表情をされている患者さんがほとんどだった。
そのため患者さんと毎日いかに笑顔で接するか、コミュニケーションの中で患者さんが少しでも不安が軽減されたり、楽しい気持ちになってくれたり、そこが看護師としての重要な役割となっていた。
憂鬱な表情で透析に来る患者さんが、わたしの声かけ一つで笑顔になってくれることもあった。
そんな時には、この仕事のやりがいを感じ、仕事を頑張ろうとたしかに思えた瞬間でもあった。
出会い
わたしが担当になった、とても優しいおじいさんの患者さんがいた。
すごく落ち着いた、温厚なおじいさんで、好きな食べ物の話や可愛い孫の話など、いつもニコニコと笑顔で、いろんな話をしてくれた。
看護師1年目のわたしは、知識や経験こそ未熟だったが、忙しい先輩より話をゆっくり聞く時間があった。
そのためおじいさんとも密にコミュニケーションをとり、楽しくいろんな話をしていた。
おじいさんも、わたしの顔をみると「今日も元気そうやな」「〇〇さんの顔を見ると安心するわ」など、優しい言葉をかけてくれていた。
そういえば、わたしはもともと人と話をするのが苦手だった。
最初の頃は患者さんと話をするのも緊張してうまく喋れなかったり、そのため信頼関係が築けなかったり、コミュニケーションにとても苦労していた。
しかしおじいさんは、そんな私をいつも優しく元気付けてくれた。
おじいさんとの関わりを通じて、わたしはコミュニケーションという壁を超えることができたし、おじいさんのおかげで、私は自分に自信を持つことができ、他の患者さんともうまく話ができるようになっていった。
わたしは、おじいさんに感謝した。
おじいさんがどうしたらずっと笑顔でいられるか、元気でいられるか、一生懸命に考えた。
この考えている間は、仕事の一番のやりがいを感じていた。
おじいさんからの「ありがとう」は、ハードな勤務や、精神的な辛い気持ちを忘れさせてくれた。
わたしは、おじいさんにとてもとても感謝した。
喪失
おじいさんはもともと体が弱く高齢であったため、頑張って透析をしていても、少しずつ病状が悪化していく。
温厚なおじいさんも、次第に状態が悪化していき、治療が辛い時には看護師やドクターに当たることも増えていった。
認知症が急にひどくなり、親しくしていた私のことも時には分からなくなってしまうことがあって、悲しかった。
そして、おじいさんとの別れの日は、想像以上に早く訪れた。
この日、おじいさんはいつもより調子が悪そう。
表情が暗く、とても辛そう。
でも看護師やドクターに体調が悪いと伝えることはなかった。
「いつもいつもありがとうな。ここの病院で、あんたらに会えて本当に良かったと思っとる」
など、普段言わないようなことを他の看護師やドクターに話しているのを耳にした。
何故か、ひどくなっていた認知症が少し軽快していたように見えた。
わたしにも同じように「〇〇さん、いつもありがとうな」と笑顔で話してくれた。
わたしはとても嬉しかった。
けれど、そんな日に限り、わたしは他の業務が忙しく、おじいさんが話かけてくれたにも関わらず、「ちょっと待ってね」と言い残す。
結局、その日は話す機会が無く1日が過ぎていった。
そして次の日に出勤すると、そのおじいさんは亡くなっていた。
信じられなかった。
昨日おじいさんと話ができなかったことをとても後悔した。
どうして話しかけてくれたあの時、足を止めなかったのだろう。
どうして私も感謝の気持ちを伝えられなかったのだろう。
どうしてたった一言、「ありがとう」が言えなかったのだろう。
わたしもおじいさんに感謝していること。
おじいさんからたくさん元気をもらったこと。
おじいさんのおかげで自分に自信を持てるようになったこと。
それを伝えられないまま、おじいさんとお別れになってしまったこと。
いろんな思いが頭の中をぐるぐるまわる。
後悔の気持ちが鎮まらず、喪失感で仕事にやる気が出ない日がずっと続いた。
約束
後悔と喪失感で落ち込んでいたわたし。
わたしがどんなに忙しくても、患者さんにとっては、いつ病状が悪くなるか分からないその時その時が大事な一瞬であり、もう二度と戻ってこない時間だったんだ。
患者さん一人一人に、丁寧に、真剣に向き合うこと。多忙なことを言い訳にせず、その一瞬を大事にすること。
当たり前のことだったが、わかっていなかった。
わたしはそのことをおじいさんから教わった。
そう考えると、おじいさんのためにも落ち込んでばかりいてはダメだと気付き、ある自分との約束を作った。
もう今後は後悔するような看護をしない。
大事なこと
看護師は、どうしても忙しさやハードな勤務に追われてしまい、看護師の仕事の大事な部分を忘れてしまいがち。
たしかに業務は大事。
それをこなす上での手際の良さや技術も大事。その点はわたしは課題が山積だ。
おじいさんがわたしに教えてくれた、もっと大事なことがある。
それは文字で書いて表現することは難しいけど、いつかはできるようになるだろうか。
そんな感覚。
この経験もあって、改めて自分がどのような看護師でいたいかを考えることができた。
その後も看護師として頑張ることができた。
喪失感はとても辛かったけど、1年目で感じるこうした辛い経験は、決して無駄にならないはず。
そして数年後にはこの辛い経験を、後輩に語れる自分になっていればいいな。
看護師って辛い。辛くて悩んだ。
向いている向いてないかもずいぶん悩んだ。
でも根幹にあったのは、わたしは看護が好きだってことだと思った。
だから一人前になるまでは続けようかな。
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